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わたしには一人、恩師と言うべき先生がいる。
その人は別に演技関係での恩師というわけではない。ただ、今のわたしを形成するのに本当にお世話になった人なのだ。 先生と初めて出会ったのは、わたしが中学2年の冬。 当時わたしは勉強が嫌いで、高校も進学できるのか? と両親が本気で心配するほどの成績だった。 親が心配して「勉強しなさい」というたびに、わたしは反発して教科書すら開くことをしなくなっていた。 そんなわたしの進学を心配した両親は、わたしを予備校に通わせることを決意した。先生とはその予備校で知り合うこととなる。 親に言われて、何の気なしに受けた入塾テストでなんとかギリギリの成績で合格したわたしは、当然一番下のクラスに配置された。 恩師の先生はそのわたし達のクラス担当で、英語を専門として教えてくれた。 先生の名前は、ここではN・Sとイニシャルだけ記しておきたい。 初めて会ったN・S先生は当時のわたし達にとって、色んな意味でかなり衝撃的な人だった。 今までもっていた「先生」という概念をくつがえす容姿をしていたからだ。 腰まで伸ばした黒髪。きちんと引かれた赤い口紅。 歩く度に音をならす高いヒール。そして、いつも必ずシワの入らないスーツに身を包んでいた。 他の講師達が化粧気のない、パンツスタイルで教えている中で、まだ女性の化粧というのに免疫のなかったわたし達にはN・S先生はかなりインパクトがあった。 N・S先生は予備校で教えるのは初めてだったらしく、 わたしはそんな先生を「どうせ他の先生達と同じ。人のことをはなからバカにして、教える気なんてないんだから。」と思っていた。しかし、そんなわたしの考えはすぐに覆されることになる。 週3回の予備校通い。 アルファベットすらまともに書くことが出来るかどうか怪しい私たちに、先生は毎回テストを繰り返した。 市販の問題用紙をコピーしたものなら、きっとそこまで先生のことを信用することはなかっただろう。だが、N・S先生は毎回手作りのたった20問程度の小テストを作ってきてくれたのだ。 そして、回収されたテスト用紙を次の授業の時に返す。 返されたテスト用紙には、紙が一面真っ赤になってしまうくらいビッチリと解説が書かれていた。 最初にそのテスト用紙を受け取った時、わたしは目が点になったのを覚えている。今まで「バカに教えることはない」という大人の対応を受けてきたわたし達にとって、ここまで大人がしてくれるのは信じられないことだったのだ。 一人一人に分かりやすい言葉、そしてその子がどうして間違えたのかを先生なりに推測したのだろう・・・。 「○○という考え方で解いたと思うんだけど、ここでは■■の法則に当てはめる方法をとるんだよ。」と、一問一問に対して解説とコメントが書かれている。 そして、必ず用紙の右下端に「FIGHT!」と書いてあった。 そんな授業が続く中で、わたしは「N・S先生を信じていいのか?」「どうせ信じても裏切られたら、傷つくのは自分だぞ!」と、いつも期待と不安を覚えながらも、参考書を開く回数が日に日に増えていった。 最初こそ分からないことだらけで、何を聞けばいいのかも分からず、とりあえず参考書を持って先生のところまで聞きにいっていた。 しかし、それも途中からは参考書を開き「先生に聞きにいくために、分からない所がないかを探す」作業となっていた。 先生に褒められることが、すごく嬉しかった。 そして、少しづつ分からなかった事が分かるようになるのが本当に楽しかった。 たぶん、これはクラスのみんながそうだったと思う。 中学3年の夏には、わたし達のクラスの英語の成績は全クラスを合わせても1、2位を争う程の成績を誇っていた。 そんな夏の頃。わたし達のクラスの成績が著しく上がったのをみて、N・S先生が上のクラスを担当するという話が持ち上がった。 わたしは「捨てられる」と正直思った。 それと同時に「結局、大人はみんなそうなんだ。」とさえ思ってしまった。 いま考えると、ここに書かれている気持ち全てが、まるで子供じみた独占欲と我がままに満ちている。 だけど・・・当時のわたしにとっては、その気持ち一つ一つが大切なことだった。 しかし、そんな話が持ち上がってから何日たっても先生はわたし達の授業に、いつものように小テストを作ってくるのだ。 不思議に思ったわたし達は、何人かで他の先生の所まで聞きにいった。 なぜN・S先生に直接聞かなかったかというと、直接聞いてもし、そうだったら・・・・耐えられない。 だからN・S先生には聞けなかった。 そんなわたし達が向かったのは学年主任の所だった。 わたし達が詰め寄るのに対して、最初先生は苦虫をつぶしたような顔をした。 器用に眉間にしわを寄せ、唇の片端だけをクイっと上げる。 「ああ、あの話なぁ・・・。すっぱり断られたよ。」 わたしは一瞬、その言葉の意味を理解できなかった。 「わたしには、わたしの事を信じてくれる生徒がいます。だから、その子達を置いていくことは出来ませんだとよ。」 目頭が熱くなるのが分かった。 N・S先生はわたし達の事を分かって、信じてくれていたっ!! 学年主任の先生は大きな手でわたしの頭を軽くなでると、一言「うらやましいよ」と言った。 それからのわたしは、今までになかったほど勉強に打ち込んだ。 自分を信じてくれている人がいるという現実が、わたしの支えになった。 わたしの成績が伸びると、N・S先生が他の先生方や父兄から「すごい!」と賞賛されるのが嬉しかった。 おかげで高校も、進学校として有名だった高校に入学することが出来た。 高校に入り、その予備校も辞め、わたしは声優という道を選び、N・S先生と会う機会もなくなった。 だが、今でも先生とはたまに連絡を取りあっている。 N・S先生は今ニュージーランドで日本語を現地の学生達に教えている。日本と外国を結ぶ、とても素敵な仕事だと思う。 何年か前に先生が日本に戻ってきた時、お茶をしながら話した。 先生 「新堂さん達に出会って、わたしは教職であることを決意したのよ。」 わたし「わたしは先生に信じてもらえたおかげで、自分と人を信じることを教えてもらいました。」 当時は照れくさくて言えなかったことをやっと言えたと思った。 そう、先生との出会いがあって今のわたしがいる。 自分を応援してくれる人達を、自分の力を信じて頑張れば何でも出来るっていうことを教えてもらった。 わたし「先生。本当にありがとうございました。」 N・S先生は言葉を通して、人と人とのつながりを深めていく道を選んだ。 わたしは演技を通して、人と人とのつながりを深めていきたいと思い先生にそのことを伝えた。 先生は昔と変わらない優しい笑顔で「わたしはあなたの事を信じているわ。場所は遠いけど、いつもあなたの事を応援してる。頑張れっ!」と言ってくれた。 わたしの手元に遠い外国の切手の貼られた手紙が届くたび、やはりその手紙の右下端に今も「FIGHT!」と書いてあるのだ。 閉じる PR
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