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当時のわたしは「おかず」は好きだけど、「おかし」にはあまり興味を持っていなかった。
というのも、我が家における「おかし」という類の物は、オセンベイか母が焼いたクッキーと相場が決まっていたからだ。 母の愛情には大変申し訳ないのだが・・・わたしは「おかし」に飽きていた。 そんなわたしが何を思いついたのか、突如「洋菓子作り」に興味を持ってしまった。 理由は単純明快。当時のクラスの女子の中で、なぜか急に「おかし作り」なるものが流行したからだ。 毎日のようにクッキーやカップケーキ等を作っては持ち寄る女子達。女の子らしい、かつ「ちょっと大人」な感じが魅力だったのだと思う。 わたしもその波に乗り、今まで家の片隅にあり、開きもしなかった「簡単洋菓子入門」という洋菓子作り専門の本のホコリを払うことにしたのだった。 わたしが最初にチャレンジしようと思ったのは、ずはり『ロールケーキ』! クッキー等、初心者向けな物から手をつければよかったのだが。「クッキー」だけは作りたくなかった。 毎日食卓に乗る手作りクッキーの甘い匂いに、正直「うぷっ。」という感じだったし、母がクッキーを焼くのを何度も手伝っていたので、クッキーなど「今さら」な感があったからだ。 『ロールケーキ』を作るには、まずスポンジを作らなくてはいけない。 わたしは本に書かれている材料を一つ一つ秤に乗せ、指示されているグラム毎に丁寧に分けていく。 作業はいたって簡単だった。 まず卵、砂糖、小麦粉等の指定された材料を、指定された分量混ぜ合わせ生地を作る。後は、あらかじめ温めておいたオーブンで指定された時間焼くだけ・・・・。 火のついたオーブンの中に混ぜ合わせたばかりの生地を入れると、わたしの興奮は最高潮まで達した。 『出来上がったロールケーキを、明日学校に持っていったら・・・きっとクラスの皆はビックリするぞぉ~っ!!』 生地はオーブンの熱に焼かれて、程よい狐色になり、きっと甘い匂いを立たせるに違いない。 そんなわたしの妄想に拍車をかけるように、オーブンの中から甘い、優しい匂いが立ち昇りわたしの鼻先をくすぐった。時計を見ると、あと5分少々で焼き上がることを教えていた。 チン! オーブンから、乾いた甲高い音が鳴る。ケーキが焼きあがったのだ。 わたしは急ぐ気持ちを抑えつつ、期待に胸をときめかせながらオーブンを開けた。そこには狐色した、ふっくらと焼きあがったケーキがあった。 ・・・・・・・はずだった。 「あれっ??」 焼きあがったケーキは、とうてい「ケーキ」とは呼べる代物じゃなかった。 ペッタンコに鉄板に「これでもか!」とばかりに張り付いた生地は、狐色を通り越して信号機の「黄信号」の色をしていた。 鉄板から取り外してみると、さらにその異様さに驚かされる。生地を流し入れた時よりも、確実に厚みの減ったケーキの高さは・・・なんと5㎜弱。しかも、その生地をどんなに折り曲げても、さながら「厚ゴム」のようにビニュ~ンと元の形状に戻るのだ。 意を決して口に運んでみたものの・・・その味たるや。まるで「砂糖を入れすぎた玉子焼き」そのもの。 しかも食感が「厚ゴム」。 さっそく夕飯時に家族に振舞ってみた。 もちろん(!?)満場一致で「まずい」と評されてしまった。誰も食べてくれないので、当時飼っていた柴犬の「さくら」に与えることにした。 いつも与えられた物は残さずに食す律儀な彼女のことだ・・・きっと喜んで食べてくれるに違いないっ!! 淡い期待を持ちつつ、彼女の鼻先までケーキを持っていく。 さくらは一、二度程鼻を近づけ匂いを確かめるとプイッと顔を背け、その後一度もそのケーキの残骸を見ようとすらしなかった。 「犬にすら無視された、わたしのケーキっていったい。」 その後、しばらくの間わたしは汚名返上とばかりに毎日ケーキを焼くことになるのだが・・・。 この話を誰にしても「そんなケーキ焼けるはずがない。」と一笑に伏せられてしまう。 「そう言うのなら!」とヤッケになって、わたしも例のケーキを作ろうと何度も試みた。しかし、どうしても「それ」を焼くことは出来なかった。 今では、どうやって焼いたのか?? 幻のケーキと化した「それ」が本当にあった事だったのか、それすら疑問に思えてくる。 なぜ、その時にレシピを残しておかなかったのか・・・今になってちょっとだけ後悔なのです。 閉じる PR
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子供の頃おてんばで、外で遊ぶことを日課にしていたわたしの、彼女は大の友人だった。わたしが物心ついた頃から側にいてくれた、すごく頭の良い犬だった。
そんな彼女が我が家に来て、10年と半年経った夏。さくらがフィラリアという、体内で蚊の卵が孵化してしまうという病気にかかってしまった。 最初にその症状に気づいたのは母だった。食事を与えてもまったく口をつけず、水ばかりを飲む彼女の様子に病院に連れて行きフィラリアだと分かった。 薬を処方してもらい、週に一度の通院生活。薬はハムなどに巻いて、だましだまし与え続けた。 さくらはわたしの手からでないと食事をしようとしなかったので、さくらに食事を与えるのはわたしの係となった。肉や犬用缶詰、その他もろもろ。さくらがおいしく食べれるであろうものを、少しずつ手に乗せさくらの口まで持っていく。わたしの手からのみ食べるという事実が、わたしには嬉しく思えた。 さくらが苦しい思いをしているというのに、自分が頼られているということだけに酔い、そうなってしまった現状を考えないなんて。 わたしはなんて嫌な人間なんだろう・・・・。 そんな生活が約3ヶ月間続いたのだろうか。 ある土曜日の昼頃。 わたしは最初、さくらの傍で図書館で借りていた本を読んでいたが、ふと母に言いつかっていた用事を思い出した。洗濯物を干すことを頼まれていたのだ。 本を読むことにも疲れてきた頃合いだったので、椅子から立ち上がり二階のベランダに行こうとした瞬間。いつもは鳴くなんてしないさくらが、立ち去ろうとするわたしの方を見ながらスンスン鼻を鳴らした。 わたしは「なんだろう?」と不思議に思いながら足を止めると、さくらも鼻を鳴らすのを止める。気のせいか、と思いまた立ち去ろうと背中を向けると、さくらはまた鼻を鳴らすのだ。 そんな事を4回程くり返して、わたしは結局鳴き続けるさくらを尻目に部屋を去った。 ベランダで洗濯物を手にした時。病状でめったに鳴くということがなかったさくらが、大きな声で鳴いた。 甲高い、少し鼻にかかったような・・・今までに聞いたことがないような、切ない鳴き声。 わたしはすぐに持っていた洗濯物をかごに放ると、一階にいるさくらの元まで急いだ。胸が不安でいっぱいになった。一つの単語が頭の中をよぎる。走ろうと思っても・・・なぜか足は行くのを拒むかのように重い。 一階にたどり着いたわたしは、小屋の前に横たわるさくらを見た。 さくらはわたしがなんど名前を呼んでも、もうその呼びかけに応えることはなかった。 両親が仕事から帰ってきてから、わたしは父と二人で裏山にさくらを埋めにいった。時間が経ち、フサフサだった毛は固くなっていた。 さくらを運ぶために、父と一緒に彼女の冷たい体を持ち上げる。 わたし達を心配させまいとしたのか・・・・今まで吐いていたのであろう、ハムの残骸や黄色い胃液が、彼女の体に隠れるようにお腹全体に広がっていた。自分が一番辛いのに、それでもわたし達に心配をかけまいと振舞っていた彼女の気持ちを考えると、涙が止まらなかった。 裏山で一番大きな木の下に、大きな穴を掘り彼女の体を寝かせた。 どうして、わたしは彼女の訴えを無視してしまったんだろう! どうして、あと数分でもいい・・・彼女の傍にいてあげられなかったんだろう! どうして、彼女の死期を見届けることが出来なかったんだろう! どうして・・・・・。 わたしは泣きながら父と一緒に少しづつ、少しづつ彼女に土をかぶせた。 さくらがわたしに教えてくれたこと。 お互いがお互いを思いやる。その気持ちの大切さ。 そして、それはとても尊いものだということ・・・。 さくらへ。 本当にありがとう・・・・。 閉じる
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最近、歌詞を書かせて頂ける機会が増えて、今まで以上に言葉の持つ力について考えさせられたりします。
同じ文字を使った分野でも、コラムと歌詞とはまた難しい点が違ったりするように思うの。 「その違いは?」って言われると、ちょっと言葉が詰まってしまうんだけど・・・もし、あえて自分なりの「違い」を挙げるなら。 コラムは自分の言いたい事を読んでいる人に「伝える」もので、歌詞は伝えたい事を歌い手や聞き手に「想像させる」ものだと思っています。 歌詞は声に出した時の「音の響き」で人に与える印象が変わるっていうけど・・・。 それは濁点「"」がついているから汚い音とか、そういった一般的に言われている専門知識で言い表すことができるだけのことじゃなくって・・・なんて言えばいいのかな? 自分が伝えたい事や、その世界観に沿った言葉を声として発した時に、初めて感じることができる言葉の魔力?? みたいなものだと思います。 『コトダマ(言霊)』って、言葉には魂があるっていう意味なんだけど・・・私は、それはたしかにあると思うのです。 それは「言葉」っていうコミュニケーション手段を繰り返す中で、今まで人が築き上げてきた先入観で作りあげられたものかもしれないけど・・・。 でも、たしかに「言葉」には人を説得させる力があると思います。 たとえば、青空を表現するのも「澄んだ空」「透明な空」「すい込まれそうな青空」とか・・・色々と言い方はあると思うんだけど、それぞれ人に与える印象が変わってくると思うのです。 「澄んだ空」は雨上がりの空。「透明な空」は色に染まっていない・・・「これから染まる色」を予感させたり、「すい込まれそうな青空」は「透明な空」とは対照的に、どこまでも深く青い空を思い描いたり。 これは私の想像だけどね?w でも、こういう風に言葉一つで違う印象を持たせることができる、このことを・・・私は言葉が持つ魔力『コトダマ』の力のせいだと思っています。 作詞をする度に、私は言葉の魔力に惹かれつつも、それに負けないような世界観を持った歌詞を作れるように試行錯誤してる感じ・・・強い力を持つ言葉は、それだけで自分が思い描いていた世界観を壊してしまう可能性があるから。 ちょっと極端な例だけど、バラード曲で恋に傷ついた女の子の心情を歌うとして・・・この時に「イヤイヤ」とか「ダメダメ」「はわわ」っていう言葉を使うのは、使い方を間違うとそれだけで哀愁漂う世界観を崩してしまう可能性があるんだよね。でも、決してその言葉が女の子の心情を全く組みとってないっていうわけじゃなくって・・・ベターかもしれないけど、ベストじゃない感じ? これが言葉の魔力の罠。 いつも作詞をする時は、伝えたいことをどう表現しようか・・・私は言葉の持つ魔力と対決しています。 そうすると限られた言葉しか使えないんじゃないか? って思うかもしれないんだけど、そんなことは決っしてなくて。 「言葉」と「自分の思い描く世界」とを照らし合わせて、何度も何度も語り合って・・・お互いの気持ちが重なると、自然と使うべき言葉が見えてきたりします。 そして、そうやって書きあげた歌詞は、やっぱり私の想いや願いがめいっぱいこもった歌詞になっていて・・・その言葉の一つ一つが曲にのって声として発っせられた時、スッと入り込んだ風のように、みんなの心に歌の世界観を届けてくれるものだと信じています。 『コトダマ』 それは私の想像を遥かに越えた力を持って私をふりまわす、憎むべきライバルであり、共に歩むべきかけがえのない良きパートナーなのです。 閉じる
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演技をするようになって、必ずといっていいほど聞かれる事がある。
「なぜ声優になろうと思ったんですか?」 最初にこれを聞かれたのはわたしの両親からだった。 声優になりたいことを伝えた時、父は眉間を押さえながら、母は涙を浮かべてわたしにこの質問をした。 その後は演技を教えて頂いた先生。役者仲間。雑誌等の取材。 わたしは最初「なぜ、この質問をするんだろう?」「この質問の答えでわたしの何が分かるんだろう??」と正直思っていた。 とあるオーディションでも同様の質問をされた。 わたし以外の人達は「○○のアニメを見て感動したから。」とか「声の仕事で人に感動を与えたいから。」と自分の考えを流暢に答えるなかで、 わたしはお決まりの「演技が好きだから、声優になりたいと思いました。」と答えていた。 その答えを聞くと、審査員の人達は分かったような、分からないような、腑に落ちない様子で、そのうちの一人が「がんばって下さい。」と言った。 いつも、なんでみんなはこの質問をするんだろう? と不思議に思いながらも、この質問に対する本当の自分の答えは何だろう?? と考えていた。 いつも「好き」「演じたい」という感情だけが先行してしまって、この感情を裏付ける「自分」を見失っていたから。 だけど最近、少しづつだが確実に、この答えの輪郭が見えてきたように思える。 わたしは「演技」を通して、「自分探しの旅」をしているのだと。 演技をしていて、最近わたしはこう思う。それは、どの役、どの台詞、どの年齢や性別の役柄であれ。演技をしようとしたら、その役や、その状況に近い自分の記憶を探し出し、それを表現しなくてはいけないということ。 その時に思った、本当の・・・素の自分の感情を見つけることだと。 飾らない、素の自分を人前に出すということは、それを受け入れてもらえなかった時、きっとすごく傷ついて落ち込むだろう。でも、素の自分が感じた事を表現していかなくては、その演技は結局のところ「作り物」になってしまうと思うから・・・。 わたしは、「演技者」であり続けたい。 だから、きっとこれからも「演技」を通して「本当の自分」を表現していこうとするだろう。 そして、きっといつかは。その素のわたしの演技にみんなが共感・感動してもらえるものだと信じている。 まだまだ、わたし自身「本当の自分」がなんなのか分からない。 今まで生きてきて、たくさんの出会いと別れの中で、自分が傷つかないように「誰でもない、もう一人の自分」を作ってしまったから。 だけど、わたしはあきらめたくはない。「本当の自分」を探し出して「よくやったね」と褒めてあげたいから。 今までわたしを支えてきてくれたみんなに・・・。そしてこれから出会うであろう、みんなに「これが新堂真弓です」って紹介したいから。 そのために、わたしはこれからも演技を続けていこうと思う。 「なぜ声優になろうと思ったんですか?」 今なら、答えられる。 「わたしは、『本当の自分』をみんなに見て欲しいから。だから声優になろうと思いました。」 閉じる
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アスファルトから照り返す日の光が、肌に刺さる夏の日。
私はいつものように近所の公園のベンチに腰をかけ、小さく息を吐いた。 少し錆びついたそれは、腰を下ろすと小さな声を上げる。 ベンチを抱きしめるように覆いかぶさる木々が、涼やかに影をつくり、何本もの腕を振って小さな風を送ってくれる。 それが火照った身体の熱を優しく拭い取ってくれるのを感じながら、私は深く腰を落ち着けた。 どこかでラジオを聞いているのだろうか。ブラウン管を通した女性アナウンサーの無機質な声で、たんたんとニュースを読み上げる声が聞こえる。 何度も繰り返される日常の風景。 「由美ちゃん。」 私はブランコを漕ぐ娘に軽く手を振った。 由美は思い切りブランコを蹴ると、揺れるブランコを背にして私に向かって走ってくる。ポニーテールで高くまとめ上げた、長く伸ばした黒髪が背中で跳ねる。 軽く息を弾ませながら走ってくる娘の姿を「まぶしい」と思った。 「お母さん!」 由美は細い腕を、走ってきた勢いそのままに私の首に廻した。 「そろそろご飯だよ。」 私は彼女の少し汗ばんだ背中を、上下する胸の動きに合わせて軽く叩く。 少し落ち着いたのだろうか。由美は私の肩から顔を上げ「帰ろう。」と言うと、にかりと笑った。 私は小さな彼女の手をとると、自分もベンチから立ち上がろうと腰を浮かせた。 また暑い日の下に出るのかと思うと、それだけで腰が重く感じる。 「お母さん。」 「ん?」 私は垂れた前髪を上になぞると、娘の顔を見た。 由美は私のスカートの裾を軽く握り締めながら、その大きな黒い瞳で上を仰いでいる。上に何かあるのかと、由美の目線の先を探ったが何も見当たる物がない。 「どうしたの?」 由美の顔を覗き込む。 「ねえ、お母さん。どうして、空はこんなに青いの?」 握っているスカートの裾が強くにぎられた。 私はふと昔のことを思い出した。 母と一緒に歩いた畦道。その時もたしかこんな暑い夏の日だったと思う。 そうだ・・・・私も母に同じ質問をしたことがあったのだったっけ。 母はその時なんと言ったのか・・・。 輪郭もおぼろげな記憶の中で、淡く色づいた思い出が目の前に広がる。 思い出の中の空は、青く冴え渡り。何度も歩いた田舎道は土と草の匂いがした。 「空の色は、澄んだ心の色を表しているんだって、よく言われてるのよ。」 私はアルバムの写真を一枚一枚なぞるように、母が言った台詞を思い出す。 「だけど、本当は・・・。」 「本当は?」 由美は下から私の顔を覗き込み、次の言葉を待っている。 その瞳に太陽の光が差し込んで、黒い瞳は少し茶色がかって見えた。 「本当は・・・。」 母は私が同じ質問をした時、つないだ手をより一層強く握り返してくれたっけ。 「本当は、人が空に投げかけた言葉が、青い空の一部になるのよ。」 私は母に教えてもらったその言葉を、そのまま娘に伝えた。 「空に投げかけた言葉が?」 由美は自分に確認するように、小さく口の中で呟く。 「そう、投げかけた言葉。」 私は優しく娘の頭を撫でると、先ほど由美が見ていた先にある空を見上げた。 今も昔も変わらないなぁ・・・。 日差しを避けるように、軽く眉間に合わせて手で傘を作る。 由美は分かったのか、大きくうなずくと背伸びをするように大きく空を仰いだ。 「私、これからいっぱい、いっぱい貴方に話かけるよ。」 そう言うと、満足したように強く私の腕を引っ張った。 「お母さん、帰ろう。」 勢いにつられ、木陰から出ると、夏の光は思ったよりも優しかった。 娘はこれから先、今日のこの日を覚えているだろうか? 由美はスカートを掴んでいた手をほどくと、小走りに先を歩いていく。 明日、明後日。1年後、5年後・・・結婚して、自分が母になるその時まで。 そして、その子供が今日と同じ質問をした時。 私の言葉を思い出してくれるだろうか。 その時、今日の空は・・・。 その時の空は、いったいどんな色でこの子の瞳に写るのだろうか。 「お母さーん!」 大きく手を振る自分の娘に、私は軽く手を振った。 閉じる
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